境内のご案内

ねがい牛

道真公は、御生前大変牛を可愛がられた事でも知られております。牛天神境内にある、なで石(自然石)は、源頼朝公が奥州へ東征の途中、此の地に休まれたとき、夢の中に牛に乗られた菅原道真公が現れ、願いが叶うことを告げられました。その後、ここにあった牛に似た石を御神体とされ、大宰府天満宮より御魂を勧請されたと伝えられており、これが撫で岩の発祥で牛天神の始まりです。(牛天神社と呼ばれていました。)

撫でるとねがいが叶うと言われており、今日まで多くの人々に信仰されております。

【先ず願いながら真心を持ってねがい牛の頭の部分を撫でさすり、心に念じつつ何事も唯々誠心誠意純真な気持ちを持って夫々にお願いをしてください。天神様は、聞とどけて下さるでしょう。】

※遠方よりお越しの方は、ガーゼを境内のお水で濡らし、ねがい牛の口元に触って気を入れ、ビニール袋などに入れて持ち帰り、寝る際に枕の下に入れると、2つの願いが叶うと言われています。

葛飾北斎 富嶽三十六景「礫川 雪の旦こいしかわ ゆきのあした」を描いた地

富嶽三十六景「礫川 雪の旦」

葛飾北斎 富嶽三十六景「礫川 雪の旦こいしかわ ゆきのあした」は、富嶽三十六景のなかで唯一の雪景を描いたものです。

当時、牛天神境内西側にあった茶屋より、遠く富士を眺望する絵と考証されています。[考証記事(PDF)]

2016年には日本国パスポートの新図柄にも選出されました。

牛石

この牛石は、伯牛と呼ばれ、天神様をお祀りしているすべての神社にあります。

ご神木

樹齢100年超の木斛(もっこく)。真剣に心をこめてお願いすると必ず願いが叶うといわれています。

筆塚

字が上手になりますようにと、使用した筆又は、ペン等を納めていただくものです。

手水舎

牛天神の手水舎は、平成14年に菅公昇神1100年を記念して、氏子、崇敬者よりご奉納いただきました。

この手水舎の屋根や柱には備前の木を、鉢と花びらには御影石を使用し、宮大工と彫刻家石田榮一さんの手によって当神社のために造営された手水舎でございます。暗くなってまいりますとライトアップされ、とても神秘的な雰囲気を漂わせております。

中島歌子の歌碑

中島歌子の歌碑は、歌子の死後、明治42年(1909)に門下生によって建てられました。

「雪のうちに 根ざしかためて 若竹の 生出むとしの 光をぞ思ふ」

(訳)雪の降り積もった中で、深く根を入れている若竹が、すくすくと光り輝いて伸びている

中島歌子(1844年〜1903年)
歌子は、すぐ近くの安藤坂の歌塾「萩の舎」の塾主でした。門下には、梨本宮妃、鍋島侯夫人や、前田侯夫人など、上流、中流層の婦人1,000余人がいました。樋口一葉・三宅花圃らは、その門弟でありました。1903(明治36)年1月30日、60歳でこの世を去りました。

桜の木

江戸時代、水戸光圀公から当社へ五本の桜の木が奉納されました。そのうちの一本が枯れずに、今もなお境内にあり、参拝者の方に愛でられています。この木には、木から“気”が出ており、参拝者の方々は桜の木より“気”をいただいてお帰りになります。

さくら便り →

太田神社・高木神社

太田神社・高木神社は牛天神の境内にあり、芸能の神・天鈿女命(あめのうずめのみこと)と道の神・猿田彦命(さるたひこのみこと)の御夫婦と宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)をお祀りしています。

芸能上達、開運招福のご利益があるとされ、関東では牛天神の御末社、関西では京都と、全国でも二社でのみ祀られています。

もとは、貧乏神と言われた黒闇天女(くろやみてんにょ)(弁財天の姉)をお祀りしていましたが、江戸時代にあったとされる出来事から、人についている貧乏神を追い払い、福の神を招き入れることができると庶民の信仰を集めるようになったそうです。詳細は下記の御由緒を御覧下さい。

人々の信仰厚く、関東大震災のころまでは、祭りの日ともなると、未明から深夜まで参拝の人で賑わい、芸能の神として、歌舞伎、新劇人など芸能人の信者を集め、名のある役者がたびたび参拝に訪れたそうです。

例祭と記念御朱印

毎年三月三十一日に例祭が執り行われます。

当日は「太田神社・高木神社例祭記念御朱印」をご用意しております。御朱印をお受け頂いた方に参拝品を進呈致します。(数に限りがございます)

御朱印の授与をご希望の方は御朱印帳をお忘れなくご持参下さい。

※ご希望人数が多い場合、当日ご朱印帳をお預かりして後日お渡し致します。あらかじめご了承下さい。

太田神社の御由緒
昔々、小石川の三百坂の処に住んでいた清貧旗本の夢枕に一人の老婆が立ち、「わしはこの家に住みついている貧乏神じゃが、居心地が良く長い間世話になっておる。そこで、お礼をしたいのでわしの言うことを忘れずに行うのじゃ…」と告げた。
正直者の旗本はそのお告げを忘れず、実行した。すると、たちまち運が向き、清貧旗本はお金持ちになる。そのお告げとは─
「毎月、1日と15日と25日に赤飯と油揚げを供え、わしを祭れば福を授けよう…」
以来、この「福の神になった貧乏神」の話は江戸中に広まり、今なお、お告げは守られ、多くの人々が参拝に訪れている。
縁のむすび(心の絆)の由来

人の一生はではじまります

にはその人にとって良い
あれば良くない縁もあります

たとえ良くない縁でも良い
変える事も出来るのです

出逢いは一期一会です

その出逢いを大切にすることで
良縁に生かされ、ある人生を歩むことが出来るのです

万物を愛する清らかな心
幸せをお願いしましょう

恋結びの里
福の神 太田神社
    高木神社